家庭菜園で大根と白菜を収穫しました

今日は大根と白菜、長ねぎの収穫をしました。おふくろが趣味で育ているのですが、自宅裏にある畑はそこそこの面積があって、維持するのは大変です。

半端な面積ゆえ、何を植えても自宅で消費する以上の収穫量ですが、どれも出荷するほどではありません。

今年栽培した品目は、順不同に、レタス、にんじん、ごぼう、長芋、キャベツ、白菜、大根、ブロッコリー、カリフラワー、きゅうり、なす、トマト、じゃがいも、玉ねぎ、長ねぎ、ほうれん草、小松菜、モロヘイヤ、つるむらさき、さやえんどう、いんげん、花みょうが、ピーマン、大葉。

「趣味以上職業未満」の家庭菜園です。

これまでは「農作業を手伝うこともある」程度でしたが、老いとともに自分ひとりでは難しい作業も増え、手伝うことも多くなってきました。かといって、それを手伝う私にとっては、野菜を収穫する喜びを感じるほどではなく、ただただ、慣れない面倒な作業でしかありません。

収穫前の大根の畝に立ち、育ち具合を確認するおふくろ、84歳。

歩くのもヨボヨボ、ここ数年は体力の衰えが急速です。

本日の労働は、大根、白菜、長ねぎの収穫です。

今年の大根、長ねぎの収穫は、地面からスポスポ抜けて、とても楽でした。

白菜の収穫は、茎部分を菜切り包丁でカットして行います。今年の白菜は、よく実がしまってずっしりと重さを感じます。

その年の天候にも影響されると思いますが、年によっては葉の巻きが甘く、白菜を手でもった時、フカフカに感じることもあります。

体力的なこともあり、今年の作付けは、いつもよりも少なくするように言っていたので、今日収穫したのは例年の1/3程度の50個ほど。日持ちする野菜ではありますが、50個でも食べきれません。

収穫の夜は、大地の恵みを味わうメニューが儀式のように登場しそうですが、この地域にとって大根、白菜は珍しい野菜ではありません。煮物や鍋で準主役を演ずるわけでもなく、長期保存が可能な冷暗所に直行で収容しました。

今までであれば、ランチはおふくろの奢りで近所の食堂に行くのですが、その恒例儀式をも忘れているようです。

そんな収穫作業でしたが、明日朝は、大根の葉や茎を刻んで納豆に混ぜて食べてみようと思い、いつもは畑に捨てる大根3本分の葉も収容しました。

大根の葉は黄変しやすい性質があります。この黄変が品質劣化しているような印象を与えるため、一般的には葉はカットされた状態で出荷・流通・販売されています。

そういう意味で、大根の葉は希少部位なわけです。

冬野菜の実りを収穫し、最初に味わうのは、通常捨てられる大根の葉。贅沢なような贅沢でないような、不思議です。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

旬の食べ物で楽しむひとり秋祭り

昼夜の気温差も大きくなり、食べ物が美味しい季節になりました。そんなことを考えていたとき、取引先の方から、ご自身が家庭菜園で育てた白菜を漬けた漬物が職場に届きました。

丁寧に職場の人数分ごとに漬け液も含めてパッケージされています。

白菜の葉の緑と黄色味の美しい色バランスが目に入った瞬間に、今夜の晩酌は「日本酒」と決めました。

贅を尽くしたひとり秋祭り

今夜は秋祭りです。

職場で頂いた、おっかさん干し柿と白菜漬けをつまみに、会津塗りのぐい呑みで日本酒をいただきます。

日本酒は、岩手県磐乃井酒造の清酒、磐乃井。高級酒ではありません。

それでも後味がきれるスッキリした辛口の日本酒で、歯触り良く、程よい塩加減の冷んやりした白菜漬けにも、実がとろける優しくも奥深い甘さの干し柿にもよく合います。

ぐい呑みの紅葉の絵柄も、今夜は酒の肴です。

「ひとり秋祭り」とは、「ひとりぼっち」という意味ではなく、自分だけの世界、という意味です。

干し柿も白菜漬けも頂いた物ですが、おカネでは買うことができない、旬の味わいと真心とゆったりした時間。今夜も呑みすぎるかもしれません。