
昨日、同級生だった友人が旅立ちました。健康診断がきっかけでがんが見つかり、入退院を繰り返した、病魔との闘いの2年間でした。
私の連絡先など知る由もない、彼の奥様から「お話ししたいことがる」とメッセージが届いたのが2年前。実際のメッセージの文面には、切羽詰まったような感じに溢れており、伝えたい内容は話を聞く前からその内容が想像できました。
おそらく、彼の携帯電話から、普段の会話に登場していた私の名前を探して連絡してくれたのでしょう。
旅立ち方
私が住むところでは、高齢化している地域柄もあり、ここ数年はお見送りする機会が多くなっているように思います。
法事の席で導師様の説法に耳を傾けるのですが、どう生きたかよりも、どう旅立ったかが重要です、というようなお話をされることが多々あります。
名声や社会的地位の有無ではなく、旅立つ間際に感謝を伝えたい人の存在の有無が、人生の良し悪しそのものだと、導師様は語ります。
吉野家の牛丼と旅立った友
昨日、旅立った友人は、お盆あたりからは食事も摂れない状況だったとのことでした。
病状は朦朧とする状態に悪化し、その意識の中で私の名前を呼んでいる、と奥様から涙声で連絡があり、病院に駆けつけました。
本来は面会できない病室ですが、面会したその時は一瞬、目が覚めたようで、「どうしておまえがここにいる?」とでも言いたそうな表情をした後、苦しそうにまた眠りにつきました。
今日はその彼の告別式。
祭壇前の思い出の品々の中に、吉野家のテイクアウト用のパッケージも飾られてありました。その光景は、がん発見以来の大半の時期を点滴で過ごした厳しい闘病生活を物語っています。
棺の蓋を閉める前、喪主でもあるご長男様が「ガッツリ、食べたいだけ食べていいんだよ」と声にならない声で語ったのを見て、どこか安心できました。
最後の最後まで家族に見守られ、吉野家の牛丼をテイクアウトして旅立った彼は深い感謝の気持ちを抱いて旅立ったことと思います。
人はみな、この瞬間のために努力するべきであって、誰かに評価されたりおカネを稼ぐために家族や時間を犠牲にするのはバカらしいことです。友はそんなことを教えてくれたように思います。